藤本壮介 : SPECIAL INTERVIEW 後編

藤本壮介 : SPECIAL INTERVIEW 後編

見たこともない魅力的な都市空間へ。

今回のプロジェクトですごく面白いのは、もともと国道側から馬場川通りに抜けていく道があったんですよ。それは道というよりはサービス動線みたいな感じで馬場川通り側は駐車場になっていましたので、積極的な道ではなかったんですけれど、明らかに道を内包したプロジェクトになり得るなと思っていました。吹き抜けも、ただのインテリアのロビーじゃなくて、道に面した広場空間みたいな位置づけになりそうだな、と。土手の道はいってみれば線ですが、でも土手になると面的な広がりが出てきて、その上を行き交う線というのは、すごく自由に立体的になっているという面白さがある。

建築と街は今、どんどん溶け合い始めているなと感じています。これまでのようにここは道で、ここからは建物と区切っているのは、ちょっともったいない。その間に実はあいまいゆえにいろんな可能性をはらんだ、いろんなポテンシャルがある。道であり、建築であり、公共空間で半分公共、半分プライベートみたいなところの活用とかデザインの仕方とかが、これからの都市空間でますます問われてくるんじゃないかと思います。

そのさらに先に行くと、建築物っていうのが閉じてぽこんと立っているんじゃなくて、どこまでが建築で、どこまでが道で、どこまでが広場で、どこまでが丘なのか、そしてどこまでが森なのか、よくわからないような、そういうものがわれわれの住環境、都市環境をゆるやかに覆っていくようになると、すごく面白い。今まで見たことがないけれども、快適でありながら、歩きまわって楽しいような魅力的な都市空間みたいなものができてくるんじゃないかなって気がしますね。白井屋というのは、それらのどれもがうまく混ざり合うようなロケーションでもあったし、それを意識的につくっていきました。

耳を澄まして、試み続けた。

振り返ると、僕らも東日本大震災で被災した陸前高田で「みんなの家」(2012年)をつくったときに、建築のつくりかたをそれまでは自分で考えて提案するんだという、そういう意識が強かったんですよね。そのとき最初はこの危機的状況に自分は何を提案できるかみたいなことで、みんなで議論していたんだけど、俺が俺がとなって何か分からない状態になってしまい、半年くらいそんなのが続いて、みんな疲れきってしまって。もう一回現地に行ったときに、これは自分から何か提案するというよりは、そこにあるものに耳を澄ますというか、じっと見るというか、話を聴くというか、そういうことから自然とわきあがってくるもの、建築ってそういうものなんじゃないかなっていう意識に変わっていったんです。

 

 

陸前高田の「みんなの家」 Photo: Naoya HATAKEYAMA

耳を澄まし、その場所が何を語りかけてくるかというのを、しっかり見ていくっていうふうになっていったんですよね。

そういう意味ではこのプロジェクトも、もともとあった建物にとにかく耳を澄まして、こいつはどうなりたいんだみたいな、そういうふうにスタートしました。あとは国道側から馬場川側に落ちている地形、高低差がすごく不思議な場所だよなというのがあったんです。

月一の定例の打ち合わせで、いろんな人のいろんな言葉に常に刺激を受けながら、問い直していくような設計プロセスがずっと続きました。どこかで耳を澄まし続けているなかで、太古の地形みたいなものとか、本来、人間社会がつくりあげてきた街っていうものの、その背後に実はこういう何か本質的な根源的なものがあるんじゃないかみたいなところに、知らず知らずのうちにたどり着いていたのかもしれないですよね。

そこからあの土手の案が出てきて、4階建ての内部の吹き抜けのあり方とうまく共鳴したと思うんです。土手だけだったら、たぶん、ある意味、ただの意味のわからない土手なんですけれども、土手の向こうにまた違ったかたちで、そこにずっとヘリテージとしてあったものから発見された、でも新しい公共空間みたいなものが連動してきたっていうのは、じっと耳を澄ましながら、いろんなことを試み続けていたプロセス全体にそれが内包されていたのかもしれないですね。

小宇宙のような多様さの統合。

けっこうな期間にわたって月一くらいで雑談っぽい定例をやりました。ときには具体的に図面とかでちゃんとものごとを決めましたが、ホテルをこんな感じにしたいよねとか、このホテルはどうなっていくんだろう、どうしていこうか、みたいなものを厳密なタイムラインを決めずにやっていたんです。そのやり方が面白い具合にいろんなものを巻き込みながら、プロジェクトが豊かになっていくことに、すごく役立っていたという気がしますね。

田中さんも何かを突然思いついたりするわけです。「実はこんなことを思いついたんだけど、これやってみない」みたいな。「今、ジャスパー・モリソンとメガネをつくってるから、話してみたんだよね」とか。レアンドロの話が出てきたり。いろんなことが巻き込まれていった。たぶんゆっくり時間をかけたからだと思うんですが、多様な感じのいい意味でのばらばらさが残りながらも、それらがしっかり熟成されて統合されていったというプロセスが、そのまま設計プロセスでもあったと思うんですよね。

4層吹き抜けのコンクリートの躯体がばーんとあって、でもそれだけじゃなくて、そこにいろんなものがうまくまとわりつきながら、一つの生態系のような全体をつくっている。そこにいろんな層というか、まさに豊かさですよね、徐々に熟成されてきた感じです。それぞれの良さが別のものの良さを引き出していたり、なんか小宇宙のような多様さの統合みたいなものが、すごく面白いかたちでできていると思うんですよね。それって、なかなか建築だけでは実現できなくて、建築の中でもそういうものをつくりたいなっていう思いはあるんですけれど、やっぱりクライアントさんのビジョンもあるし、それこそ、たまたま何か偶然の重なりもあるし、いろんな縁があったりしますから。

今回の場合は、前橋という街が持っている文化的・歴史的な背景がずっとあって、白井屋の背景ももちろんあって、そこにしっかり接続していることがまた豊かさを広げていると思うんですよ。建築だけではなく、あらゆるジャンルのあらゆるものがうまく溶け合って、時間をかけてつくっていったことで、それが熟成されて一つのしっかりとした調和になっている。だから、今日も見ていて、いろいろな風景が次々現れてくる楽しさ。でも、同時にそれが一つの世界をちゃんとかたちづくっているという驚きみたいなものがありました。それが実現できたっていうのが素晴らしいなと思いますね。

まったく新しい風景の可能性。

Mille Arbres (c) SFA+OXO+MORPH

馬場川通りの土手は、建築空間ではないですよね。土手はむしろ、立ち姿というか、存在のありようというんでしょうかね。昔からある街に新しいものを持ち込むときに、その街のアイデンティティを継承していく方法はもちろんありますが、今回の場合はむしろまったく新しい風景として、持ち込んでいるんですよね。たまたま、街ができる前の太古の地形みたいなものと連動していたとしたら、すごくいいなと思うんですけれども。

フランスで設計しているときに求められる、ある種のランドマークというか、アイデンティティみたいなものは、とてもいいなという感触をここ数年もっていました。ランドマークというと、日本だとネガティブにとらえられることがあるじゃないですか。なんとなく、周囲と調和しないものが、ぽーんとそこに立っているような。ただ、本来的な意味でランドマークというのは、その場所あるいはそのエリア、その地域の特性や培ってきたものをぎゅっと集約して、そこにアイデンティティとして立ち上がるような何かなんじゃないかと思うんですよね。このプロジェクトも、周りと違うものをつくって目立たせようという意味でのランドマークではなくて、この場所が今は違うかもしれないけれど、全体的な広い視野で見たときにこういう風景を内包していたら、何か新しい可能性みたいなもの、この場所の未来がひらけていくんじゃないかみたいなこと、そういうことを考えざるをえなかったんですよ。で、土手になるんですけどね(笑)。

そして、この街がもっている起伏。ちょっとした起伏ではあるんですけれども、起伏というものがもっている豊かさですね。もともとあったこの白井屋の段差が、この場所に今はないんだけれども何かポテンシャルとして、かすかに示唆しているものがあるような気がしたので、思わずわっと広がる伸びやかな土手の案が出てきたんですよね。

歴史を未来につなぐランドマーク。

一方で、ぴょこぴょこと土手に立っている小屋みたいなもの、煙突みたいなものが出ているんですけれども、もともと白井屋の後ろ側に煙突があって、たぶん設計した方はそれをメインのものとしてというよりは、けっこう機能的なものとして設計されたと思うんです。でも後ろから見ると、塔みたいになっていて、なかなかいいんですよね(笑)。何もなければ、ある意味、ただの煙突として見過ごされるかもしれませんけれど、われわれが煙突的な塔をいくつか足してあげることによって、以前の白井屋のもっていた煙突の塔が、あたかもしっかり意図されたような、そういう立ち方、立ち姿になった。この土手の広がりのなかに建ち上がった「建物たち」という風景になりましたね。何を象徴しているんでしょうか。でも、なんか、面白いですよね。

ランドマークって、外観でもあるけれど、場のあり方なんじゃないかって気もするんです。ものを指しているというよりは、ものも含めたそれがつくりだす全体、場というんでしょうか。そういう意味では、既存棟のところに巨大な吹き抜けをつくったというのは、けっこうランドマーク的な方法だったような気もします。つまり、もともとある建物がもっている力をどうしたら最大限そこから引き出せるか、という意味でも。その結果、そこが人々のための場所にもなるし、同時に、その場所と建物が培ってきた歴史と現在のわれわれの生活をつなげ、未来に受け渡していく、その接点にもなる。かたちとしては現れてはいないけれど、やっぱり吹き抜けの場所は、すごくランドマーク的で同時に場であるという意味で、人々の空間になっていると思うんです。

だから、僕にとって土手はこの吹き抜けとセットになっているようなところがあるんですよね。この吹き抜けがあることによって、この土手が反転した何か、開いた場、人々のための場みたいになっている。あっちが強烈なかたちをもっているのに対し、こっちはかたちはないけれども、でもセットになることによって、かたちがあるないじゃなくて人々のための場というものがしっかりつくられているんだよっていうのが、両方ですごく強調されているんじゃないかっていう気がしてますね。

日常の場所、特別な場所。

建物ってできると、そこで時間を過ごして一度訪れただけだったとしても人々の記憶に残りながら、ずっと続いていくんですよね。そういう意味では、前橋のまさにここにある場が、ほんとうに地元の人が日常的にふらっと立ち寄るような場所、あるいは、ただ土手を通り抜けていくような場所であってほしいなと思います。というのは、日常のなかにある場所は、やっぱり記憶のなかにずっと残り、力をもってくるような気がするんです。当然、前橋を訪れて宿泊される方には、まさにその何日かは特別な場所になりますよね。その感じはすごくここに現れているように感じています。なので地元の方もいらっしゃる方も、ぜひこの場所で時間と空間を体験してほしいなと思います。

 

 

藤本壮介 / 建築家

Sou Fujimoto / Architect

1971年北海道生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業後、2000年藤本壮介建築設計事務所を設立。2014年フランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞(ラルブル・ブラン)に続き、2015、2017、2018年にもヨーロッパ各国の国際設計競技にて最優秀賞を受賞。国内では、2025年日本国際博覧会の会場デザインプロデューサーに就任。2021年には飛騨市のCo-Innovation University(仮称)キャンパスの設計者に選定される。

主な作品に、ブダペストのHouse of Music (2021年)、マルホンまきあーとテラス 石巻市複合文化施設(2021年)、白井屋ホテル(2020年)、L’Arbre Blanc (2019年)、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013 (2013年)、House NA (2011年)、武蔵野美術大学 美術館・図書館 (2010年)、House N (2008年) 等がある。

 

 

text・interview / Choreo Tanaka

photo / Shinya Kigure・Katsumasa Tanaka

 

藤本壮介 : SPECIAL INTERVIEW 前編(動画付き)

藤本壮介 : SPECIAL INTERVIEW 前編(動画付き)

「白井屋」の再生プロジェクトから見えてくる
建築、街、世界の豊かさ。その先の未来—。